痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

「欠如を回復する」物語と「31の機能」――アイドルマスター第一話

鉄は熱い内に撃て、ってことで連日更新です。と言うよりも、昨日の記事の蛇足でございます。『シンデレラガールズ』の第一話を出した上で、『アイドルマスター』(以下『アニマス』と表記)第一話の物語構造を捉えてみようという試みです。
別に『アニマス』や『シンデレラガールズ』を貶めたいなんて意図はないのですが、性質上批評的な言葉になる可能性が高いので、その点をご注意ください。
あ、例によってネタバレ注意ですからね!






 
さて。


前回の記事で『シンデレラガールズ』の第一話は「行って帰る」物語を想起させたと書きましたが、それでは『アニマス』の第一話は何を想起させたのでしょうか? 同じく、「行って帰る」構造でしょうか?

あくまでも個人的にですが、私が『アニマス』第一話を見て感じたことは「停滞」でした。「これから物語が始まる!」というスタートよりも、その前段階の世界観の説明や、あるいは物語が始まった後の補足説明会のような印象を受けてしまったのです。
「ヒーローズ・ジャーニー」を持ち出すなら、「第一関門突破」の前か、あるいはもっと前の「冒険への拒否」辺りのような印象です。第一話なのに、ですよ?


しかし、『アニマス』の原典テクストである『アイドルマスター2』のことを考えれば、それも当然のことなのかもしれません。
アイドルマスター2』のコンセプト(テーマ)は、「もしもプロデューサーの765プロ入社が1年遅かったら?」というものだからです。

言い換えると、「デビューしたものの、売れないまま半年が過ぎた現状を打破するために、プロデューサーが入社したらどうなるか」という物語なのです。
視聴者の目線で見れば「赤羽根Pとアイドルの出会い」が「冒険への誘い」に該当するのかもしれませんが、アイドルの目線で見れば、プロデューサーと出会う前から既に非日常は始まっているのです。
したがって、『アニマス』を「ヒーローズ・ジャーニー」的に捉えることが多少困難になります。と言うよりも、より適当なものがあることに気づくのです。




それは「プロップの31の機能」(と、「8種類の登場人物」)です。
例によって説明するとややこしいので、ググって適当な解説サイトを読んでみてください。



注目しておきたいのは、プロップは8番目の機能「加害あるいは欠如」を重要視している点です。
物語の発端は、「加害行為」によって開かれるとし、それ以前の昨日は予備部分であるとさえしています。
(参考:『ストーリーメーカー 創作のための物語論』 孫引きになっていますが、ご容赦ください)



短絡的に言ってしまえば、「プロップの31の機能」において、1~7の機能は存在していなくても、物語は始められるのです。

そして、その証左に『アニマス』第一話は1~7の機能が描かれないままに物語が開始しています。8番目の機能「欠如」から描かれ始めているのです。


そのことを考えるにあたって、『アニマス』における「欠如」を定義する必要があります。
当方は、「アイドルとしての成功」だと考えました。こう捉えると色々しっくりくる、というのが理由ですが、他の要因でも成立するような印象があります。「『アニマス』における欠如はこれじゃないか?」という意見があれば、教えていただけると幸いです。



取り敢えず「欠如」「アイドルとしての成功」と仮定して進めますと、第一話は「アイドルとして上手くいっていない」765プロを描くことに専念していたと捉えることが可能になります。
そして、最後に現れた赤羽根Pが、11番目や12番目の機能にあたると考えることができます。すなわち、赤羽根Pは「贈与者」に該当するのです。

飛ばしてしまった10番目11番目の機能、すなわち「依頼者」は「765プロ」や「高木社長」に該当するでしょう。アイドルとして成功して欲しいと願うからこそ、「贈与者」である赤羽根Pを招いたわけですしね。



このように捉えてみると、『アニマス』第一話の物語構成にも納得できるものがあります。赤羽根Pが最後に登場したのは、「プロップの31の機能」に準じた構成だったからなのです。
そしてそこから、アニマス』は「行って帰る」物語というよりも、「欠如を回復する」物語であると捉えられるのです。



「欠如」からの「リスタート」を描いた『アニマス』第一話と、「冒険への誘い」、すなわち「スタート」を描いた『シンデレラガールズ』第一話。
両者を比較してみることで、互いの「静」と「動」のイメージがより際立つのではないでしょうか。



今回はそれぞれの第一話にのみ注目して記事を書きましたが、シリーズを通して捉えることでまた違った意見が生まれるかもしれません。「プロップの31の機能」にしても、『アニマス』全編を通してみると適当でない可能性もありますしね。個人的には『輝きの向こう側へ』まで含めれば成立するように思っているのですが……。

とまあ、このように、それぞれの物語における方向性の違いや構造に注目することで、また一味違った楽しみ方ができるのではないか、ということを言いたかっただけの記事でございました。何かを評価する時に他を引き合いに出すのはあまり好まれる行為ではありませんが、たまにはこういう見方も悪く無いですよと、そういうことですね。――以上。






……あ、今回は本気で余談なんですが、モバマス復帰するかもしれません。取り敢えず機能制限は解除してきました。見かけたらお手柔らかにお願いします。