「楽しく芝居してるよ」――『内村さまぁ~ず THE MOVIE エンジェル』の感想を書く5月1日。
本日の映画は『内さま』。何だかんだ観ていなかったなあと気づいたっす。
昨日の反省を活かして、最初からコントを観る心構えで視聴致しました。
結論、どちゃくそ面白かったっす。つーかどちゃくそ好みだったっす。
キャラクター/虚構の人物の観点では、そもそもの設定が巧い。
劇団員、すなわち芝居を生業としている人物たちなので、都度都度キャラクターと化すことができる。
その為、演じる前の人物たちにテクストの遊離可能性はなかったように感じるっすが、作中劇を展開することによってキャラクターに変身する=本来のテクストにおける変身前の人物に説得力を持たせていたようにも思えるっす。
キャラクター/人物の強度の話から始めちゃったっすが、魅力も人物ごとの程度の差は激しすぎるっすけど、十分にあったと思うっす。
次郎と夕子の対比。マサルの一所懸命さと、スポットが当たる人物の心情描写は見事だったと思えるっすね。
強いて言うなら越境した夕子の変化をもっと分かりやすく描いてくれれば、人物に関してはもっと魅力が出たように感じるっすが、この作品は"終わらないからこそ美しい"タイプの作品なので、あの雰囲気で締めたのはむしろ良かったっすかね?
物語の魅力を取るか、キャラクター/人物の魅力を取るかって話っす。
整合性についても、やっぱり元の設定が巧いっす。
依頼人の要望に基づいて芝居するって1点さえ保たれていれば、作中劇間で矛盾が出ようが気にならないっすからね。
とか思ってたら遊園地シーンっすよ! そこ無視しないで調理するのかよ! って感嘆したっす。
そもそも整合性を気にするほど複雑な物語をやったわけでもないって話かもしれないっす。
でも、大きな動きがないからこそ、この作品は面白かったと思えるっす。
画面への吸引力の観点でも、設定が巧いことが起因しての高評価。
複数の作中劇を展開することで、作品の中にメリハリが生まれていたように感じるっす。それだけでも「何か(動きがなくて)つまらないなあ」と目を離すことはなくなっていたっすね。
人によっては全く影響しない、めちゃくちゃズルい観点では、登場する芸人の多さも目を離せない要素にはなっていたっすね。
思っていたよりも背景での登場も多いっす。そっちに注目しちゃったってシーンも多いっす。
ボヤ騒ぎのシーンもそうっすけど、背景のつくりかたが結構巧かったような印象もあるっすね?
芸人に興味ない方にはピンと来ないポイントかも知れないっすけど。
芸人に興味があるか否か、もっと言うと『内さま』に興味があるかで大きく評価が変わる作品だと感じるっす。
ぶっちゃけると宛書きなので、演技云々が気にならなかったのも大きいかもっすね。
人によっては演技しろよって冷めちゃうポイントかも知れないっす。
(余談っすけど、あの面子に男性としてメインで絡む久保田悠来は浮きそうなものっすが、全くそんな感じがなかったのは氏の演技の巧さっすかねぇ)
NO PLANとか、見切れるふかわりょうとか、まさに世代なら笑える、知らない人はポカーンなシーンっす。
そういう芸人がわちゃわちゃしている感は、小劇場での舞台を見ているような印象も与えてくるっす。
たまにあるっすよね、こういう身内ネタ全開の舞台。好きな人は好き、分からない人はついていけない。そんな舞台。
しかし、今回の作品はそれで良かったとも思えるっす。
『内さま』の映画だからっていうのももちろんなんですが、何よりもこの作品の最後のメッセージは次郎、すなわち内村光良による「楽しく芝居をやっている」なんですよね。
「芝居は楽しい」「俺は楽しく芝居をやっている」
そのメッセージを伝えるには、(錯覚だとしても)小劇場っぽさを出すのは必要な要素だったと感じるっす。
大きな舞台で芝居してたら、そりゃ楽しいでしょってなっちゃうっす。
そうじゃなくて、身内でワイワイやって、自己満足にプラスアルファした程度の規模で、「俺は楽しく芝居やっているよ」って言える。
大きな夢を追うことを肯定はせずに、かと言って夢を断念することも肯定してこない、まるで呪いのような夢への応援メッセージ。
「楽しくやろうよ」それが全てなのかもしれないっすね。
決して万人にお勧めできる作品ではないのかもしれないっすが、個人的にはかなりお勧めできる作品だったっす。
定期的に見返したくなる、そんなメッセージの込められた作品っす。