存在しないノスタルジー――『君の膵臓をたべたい』(アニメ映画版)の感想を書く5月4日。
一昨日昨日と体調を崩してまともに作品を観られておりません。
ちょっとどこかで取り返したいなあと思いつつ、本日は掲題の通り
『君の膵臓をたべたい』です。実写版ではなくアニメ版っす。
話題になるだけあってレベルの高い作品だったなあって印象っす。
キャラクターの魅力としては、キャラクター全振り。
こんな感じのラノベ読んでいたなあと懐かしさのようなものを感じました。構図はそのまんま"キミとボク"っすよねぇ。
キャラクターに全振りして、人物としての描写は考えられていない(現実にこんな奴いないよ!)ので、辛い人には辛い感じの造型だったかもしれないっすねとも思います。
私はn次創作畑の住人ちゃんなので全く気にならなかったっすけど。
物語の整合性の観点でも特に気になる箇所はなく。
強いて言うなら通り魔に刺されるって伏線の貼り方が露骨過ぎたのはマイナスかもしれないっす。
(とは言えニュースのシーンがないと旅行出発時の「最近物騒」につながらないっすし、その台詞がないとそれこそいきなり刺されたみたいになっちゃうので致し方ないんですかね?)
もっとマイナスなのは、ガムの人の名前が出なかったことっす。
作中で提示された概念に
「名前を書かせないことで、セカイ(テクスト)の登場金物/キャラクターになりたくない」ってのものがあったっす。
言い換えれば、「名前を記すことでセカイ(テクスト)の登場人物/キャラクターにすることができる(なってしまう)」とも捉えられるっす。
そしてこの作品は「ボク(春樹)がセカイに目を向ける」物語なので、そこで齟齬を出しちゃったのがどうなのかなあって感じっすね。恭子の彼氏って役割だけじゃないでしょ、彼。結構大事なムーヴしてたと思うっすよ、彼。
尚、「名前を書かないことで」の観点から、ボク(春樹)の名前が出ないことに意味があったのは非常にポイントが高いっす!
画面への吸引力は、アニメーション映画らしい美麗な画によって高水準。
ボク(春樹)によるモノローグも良い味を出してたっすね。綺麗なイラストだけ、ではどうしても集中力が削がれちゃいそうなもんっすけど、そこをモノローグでカバーするのは巧いっす。
ちょっと気になったのは3DCGが露骨でちょっと浮いているように見えた点。
後は整合性の観点でもちょっと触れたっすけど、通り魔に刺されることが分かった状態で旅行以降を見続けなければいけなかったのが、非常にしんどかったことっす!
「まだ来るなよ、まだ来るなよ」って思いながら画面見ているの、かなり疲れるっす! 吸引力って観点では大正解なのかもしれないっすね。
色々考えるのが野暮になる作品だったっすね。素直に「良い映画だったなあ」で終わらせるのが気持ち良いと思うっす。
とは言え研究目的で観られないこともないのがやっぱり良い作品っすね。
「名前を記さないことで登場人物にならない」はキャラクター消費の概念っすし、確かゼロ年代以降の考えっす。
でも「キミとボク」の構図は確かそれよりも前だったっすよね? そこを組み合わせたのは注目ポイントっす。
「キミとボク」に注目しても、キミと関わったことでセカイが広がったわけではなく、キミと別れた後にセカイが広がる構図(恭子と仲良くなったのは1年後。それまでは殴られるだけ)はちょっと珍しい気がするっす。
アニメーションの観点では、ボク(春樹)と桜良の遺言が会話するシーンは、監督や会社によって描き方が変わりそうっすよね。他作品の類似シーンと比較してみるのも趣深いと思うっす。
が、やっぱりこの作品は「良い映画だったなあ」で余韻を楽しむのが何より素敵だと思うっすよ。