キャラクターから(虚構の)人物に成る物語――『ラ・ラ・ランド』感想(4月29日)
今年のGWは引きこもり奨励期間。
ってことで、毎日一本は映像作品を観て感想を書き殴ろうと決意致しましたっす。
4月29日は掲題の通り『ラ・ラ・ランド』(字幕版)の感想っす。
ネタバレ有りっす、ご注意を。
各作品において上位の3点は記録しようと思うっす。
(あくまでも私の主観っすよ)
キャラクターの魅力と云う観点において、『ラ・ラ・ランド』の評価はあまり高くないっす。
"夢にこだわるあまり食っていくのに困る"って造型自体は魅力があるっすけど、それ以外の面で気になる箇所が多くて、魅力を損なう結果になってる印象っす。
夢を優先させた結果仕事が後回しになるのと、仕事がおざなりになるのは全く別っすよ! 加えて、ふたりとも先約を忘れるなって話っす!
そういう"そもそも人としてちょっと……"って面があったのが、「キャラクター」の観点では残念っす。
但し、その残念さが「人物」としての説得力を強めている側面もあるので、計算なのかなって気はするっすね。
後述するギミックも、このバランスがあったからこそより印象的になった感じはあるっす。
物語の整合性においては、細かいところでちょくちょく気になる箇所はあったものの、集中力を削がれる程ではなかったっすね。
気になる箇所についても、"何故連絡先を交換しないのか"等、現代っぽくない演出についてなので、間違いなく計算だなって納得できるのも大きいっすね。
『ラ・ラ・ランド』は"旧き良き"を想起させようとしているつくりなので、意図をすぐに察して気になる箇所もさっと流せるのは強いっすね。
とは言え私が"旧き良き"が良く分からないからこそ"そういうものなんだらうな"と流せただけであって、映画好きにとっては流せないのかもしれないっす。
私の感想なのでそんなことは気にしないっす!
画面への吸引力の評価は高いっす。
どこかで見たようなストーリーラインなので、展開へのワクワク感の観点では(序盤は特に)退屈ではあったっす。
が、画作りが非常に上手いっす! 動と静の使い分けって言うんですかね?
ミュージカルシーンは動きが入るので目が惹かれるのは当然なんですが、そうでないシーンも役者のちょっとした仕草が良い意味で気になってしまい、目が離せなかったっす。
画面への吸引力があったからこそ、画面の切り替えが気になってしまった側面もあるっすね。ふたりで話しているシーンで交互に映さなくても……みたいな。表情を魅せたいって意図は分かるっすけど。
場面転換は演劇っぽさを全面に押し出した関係でむしろ気にならなくなっていたのが面白いっす。
――なんてごちゃごちゃ書いたっすけど、『ラ・ラ・ランド』一番の魅力はやっぱりエンディングっすよね!
夢にこだわっていたふたりが、ふたりとも夢を大成させるエンディング。
その結果としてふたりは交わらない人生を歩むことになるエンディング。
誰もが期待したのは、ふたりが妄想したような、ふたりが共に人生を歩む、フィクションらしいエンディングのはずです。
でもそうはならなかった、と言うのを、妄想を挟むことで強調してきます。
だってふたりはキャラクターではないのだから。全てが成功するフィクションの存在ではないのだから。
そうであったのかもしれませんが、"SEB'S"で邂逅したことで、あるいはそれ以前に離れてしまったことで、つまりはふたりともが夢を叶えたことで、キャラクターではいられなくなってしまった。
作中の表現でもありましたが、大人になったっす。なってしまったとも言えるっす。
しかし、それが間違えたエンディングなのかと言うと、決してそんなことはないっすよね。
ふたりとも徹頭徹尾、夢にこだわっていたのだから。その夢が叶えられる時点で人物としては上々っす。成功者っす。
でも取りこぼしたものもある。それが人生っす。
そんな現実を最後に突き付けられるとは予想もしていなかったっす。妄想のように、テンプレ通りのハッピーエンドを手に入れるんだらうなと思いながら観ていたっす。
それまでが"旧き良き"を想起させるフィクションっぽいつくりをしていたから尚更っす。
このフィクション(妄想)と現実のギャップを突き付けるギミックは見事っす! どちゃくそ面白いっす!
私は比較的ビターエンド(メリーバッドエンド)も好きな畑の住人ちゃんなので、評価は高いっす。
喪失感的な感情も拭い切れないっすけどね!
そういう意味では、好みが非常に分かれそうだなーって感想も抱いているっす。
加えると、"2周目以降も面白い"タイプのギミックではないので、繰り返し観るにはやや重いのも難点ではあるっすかね。
どちゃくそ作品ではあったっすし、満足感も非常に高いっすけど、底抜けにハッピーなフィクションらしいフィクションを観たくもなる作品でしたっす。
でもしばらくは余韻に浸りたい感もあるなあ。