痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

国立新美術館『新海誠展』を鑑賞して産まれた不安を文字にする11月19日。

国立新美術館で企画中の新海誠展に行ってきました。

 

 

 

 

新海誠作品は学生時代にゼミ研究テーマになったことがあるので、
展示パネルとしては特別に面白いと思ったものは無かったです。


ほしのこえ』制作環境の再現とか、
トリウッドのみで展示されていた希少なポスターに感嘆した程度。
もちろんそれだけでも価値はあります。

又、単純に原画展的に鑑賞しても楽しめるはず。

そして何より、展示ラストの特別映像が
かなり良質な『公式二次創作』映像だったので、一見の価値あり。

特に高校生は無料期間があるらしいので、
足を運んでみても良いんじゃなかろうか。

 

 

っていうだけの楽しい記事にしたかったんですけどね。

僕は以前『君の名は。』の感想記事において、

「『君の名は。』は『秒速5センチメートル』があったからこそ面白い」

といった旨の雑文を書きました。

すなわち、君の名は。』は
秒速5センチメートル』の4番目の作品に位置づけるものだと。

もっと言ってしまえば、単作として捉えた場合は、
言の葉の庭』の方が好みであった、とは
リアルの僕を知っている方なら度々耳にしていたと思います。

 

しかし、新海誠展において
僕とちょっとしたご縁のある
(いや、一方的に講義を聴講したことがあるだけなんですけど……)
榎本正樹氏が寄稿した解説文が中々衝撃的でした。

新海誠の作品は全てすれ違っていた」と。

対面を果たしそうになって尚すれ違ったからこそ、
僕は『秒速5センチメートル』こそがすれ違いの物語だと捉えていました。

しかし、『秒速5センチメートル』に限らず、
各作品には男女のすれ違いが描かれてる。

そのすれ違いの積み重ねがあったからこそ、
君の名は。』の対面が強い力を放っていたのです。

 

同時に一種の不安を覚えます。

すれ違いを続けていた男女が対面を果たした。
つまり、『君の名は。』は新海誠のすれ違う作品における、
完了形と捉えられる作品になっているわけです。

今後、新海誠がすれ違いの作品をつくったとしても、
対面の成否に関わらず、評価されないのではないか。

対面したら、『君の名は。』の二番煎じ。
対面のしなければ、完了形たる『君の名は。』の方が良かった。
(物語として未完として捉えられる)

そんな不安。

 

 

 


新海誠が次に選ぶテーマは何か。

それが今後のアニメーション批評の方向性に一石を投じる気がします。

どんなのが産まれてくるかなあ。