痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

劇団畝傍座2016年度新入生歓迎公演『彷徨い劇場奇譚』を観て思いついたことを今更書く4月6日

 我ながらこの記事名はどうにかならなかったのかと疑問に思います。
が、記事名の通りです。


ネタバレも含みますが、それ以上に「感想記事」ではなく、思いついたことをgdgd書いているだけだということにご注意くださいませ。

 

 

 

で、だ。


「奇譚」を冠する割りには、奇譚っぽくないというか、物珍しい話ではなかったなあというのが第一の印象
今回は前情報を一切仕入れずに観劇したため、タイトルからの期待っていうのが強く、余計にそう感じたのかもしれません。
しかしこれは、脚本や演出が悪いって言うよりも、現代で奇譚をやるのが難しいんだろうなあってのがありますね。
作品が満ち溢れているため、「珍しい」って概念が際立たない。

と言うか、演劇と(現代)奇譚って相性悪いんじゃないだろうか。
奇譚っていうのはフィクションっぽさが薄ければ薄いほど面白いような気がするので、如何にもフィクションです感が出てしまう演劇は向いていない、ような。
演出の腕次第ではどうにかできるのかもしれませんが、やっぱり難しいんじゃないかなあ。

リアリティ(創作作品世界上の現実感)ではなく、現実世界の延長上にあると思わせられる擬似現実の構築とか、中々できるもんじゃないです。

 

「第一幕」

「殺し愛」という現代伝奇ものではありふれたテーマ。
ああ、そういう点で見ると、もしかしたら「奇譚」にしては珍しいのかもしれませんね。
僕、「現代伝奇」と「奇譚」の違いが分かりませんけど。

魔法少女及び魔法科が当然のように存在する点も、奇譚よりは現代伝奇っぽさを感じさせます。その違いは勘違いかもしれませんけどね。

しかし、その世界観設定の影響で、鸚哥先生の存在が奇譚ではなくなったのは惜しい点かもなあ。

殺し愛とヤンデレを混同させず、あくまで「愛=殺意」を描き切ったのは素敵でした。
が、それにしてはヒロインの異常性が結構大人しかったり、またヒーロー側の異常性が唐突なものであった感が拭えないのが残念。
この物語の構図って、先達(鸚哥先生と魔法少女)に相談することで悩みが解決するものの、そのせいで悲劇になるというパターンだと思うのですが、それにしては相談前後で雰囲気が一切変わらなかったように感じるのも残念なところ。
自分の感性の問題だと、言ってしまえばそれまでなんですが。
初めから、呪術という間接的な方法とはいえ、彼氏を殺そうとしている時点で、既に壊れてるんだよなあ。
「壊れている伏線」は大事でしょうが、それがあるなら別に鸚哥先生に相談しなくても良いんじゃないかなって思いました。

分かる人にしか分からない例で申し訳ないですが、言峰神父が英雄王に相談する構図だと思うんですよね。
自発的な相談か、受け身の説教かという違いはあるものの。
となると、その苦悩や、解決したことによる愉悦の表情が欲しかったかな、なんて。

ビジュアルな面で見ると、剣術を嗜んでいるはずのヒロインの刀の持ち方が一定しなかったり、晒が下がってきてて別の意味でハラハラしそうになったり、和服に素足(絆創膏付)はどうにかならなかったのかなといったところ。
それこそ、鸚哥先生も絆創膏してたら同一人物感が出て良かったのかもです。
……つけてなかったよな?

 


「第二幕」

「食人」という、それこそ知らない人間は最早いないんじゃないかとすら思えるテーマ。
「美味しいと感じない」のフレーズだけで「食人か?」と予想してしまうので、むしろそれを裏切って何かできないかなと考えてみたりしました。すぐには思いつきませんでした。残念。

しかし、「人肉が美味い」ではなく、「好きなものが美味しい」の着眼点はちょっと面白かったです。
そのおかげで、「彼氏君が人肉ステーキを不味いと感じる=主人公のほうが彼女を愛していた」の構図が浮かび上がっていたのはグッド。
単に一週間前の肉だから美味しくなかった可能性ももちろんありますけどね。
多分彼氏君は美味しくないんでしょうけど、主人公が自分を食らったらどうなるのかすごい気になるところ。もっと食べたい。

さて。
「第二幕」は奇譚っぽさを強めるためか、作中劇のスタイルを取り、編集と作家のやり取りが随所に挟まりました。
が、それがかなり首を傾げるというか、集中力を切らされる要因になってたなあという印象。
というか、編集さんは何を見ていたんでしょうね?
プロット? 荒書き?
そも、小説家なのか漫画家なのかも判断つかないのが辛いところ。
ノートにまとめていた点から、漫画のプロットだったのかなあ。
プロットなら、編集が展開を知らなくても不思議ではありませんし。
新作なら、編集が企画立ち上げたんじゃないのという不思議さは残っちゃいますけどね。

まあ、プロットの書き方あるいは描き方なんて千差万別、作家によってはつくらないという方までいるみたいですし、そこは気にするところじゃないんでしょうが。
でもなあ、実話だって判明した時点で、「私は(編集)さんのこと好きですよ」とか言う程度のほうが好みだったかもしれません。
直接的に「食人」のシーンを入れられるよりは、そっちのほうが余韻残ると思うんだよなあ。
演出の好みでしょうし、単に自分の感性が合わなかっただけなんですけどね。

ただ、ただただ同じことを二度繰り返しただけなのは、それだけで飽きを感じました。

ビジュアル的な面では、ノートが白紙だったのが気になるという一点につきます。すげぇ目立つよ、アレ。
後は腕時計の反射とかかなあ。学生なら、別に時計つけて無くても不自然じゃないと思うんですよね。
チラチラ反射してて、結構気になりました。
また、音響が気になるというか、ガラスの滞空時間長ぇよって点があったのはどうなんでしょう。あの高さからそんな時間かかるか?

 

「二幕後」

二つの物語にテーマ的なつながりが見えず、本当に、単なる短編集だったのが気になるところ。
互いが互いを際立てられる効果とか、出せたような気もするんですけどねぇ。
「好意が狂っている」という共通項自体はあったわけですし。

一番気になったのは、新歓っていうテーマには合致しない舞台だったんじゃないかという点ですが。

とまあ酷評が目立つ感想になってしまいましたが、面白いことは面白かったので、また観に行きたいなあ。
面白くなかったら、そもそも感想なんて書きませんしね。

 

我ながら厄介な人間になってしまったもんです。