痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

騙し絵的な物語構造に舌を巻く――『心が叫びたがってるんだ。』感想

やっほほーい! 日谷さんです。

シルバーウィークは、メイドカフェに行き、特撮BARに行き、観劇に行き、映画館に足を運びと、結構アクティブに動いておりました。
観劇の感想もまとめたいところなんですが、まずは先日観た『心が叫びたがってるんだ。』の感想をまとめたい所存。

例によって例の如く、ネタバレ前提の感想ですので、ご注意くださいませ。



ちなみに、ネタバレがない範囲での感想は

青春モノに抵抗がない方は、観てみる価値があるはず。
青春モノで鬱になっちゃう方は、注意したほうが良いかも? です。

真っ当に、青春モノでした。それでいて、青春モノへのアンチテーゼを含んでいたのが意外でした。

 


さて。

『心が叫びたがってるんだ。』あるいは『ここさけ』
鑑賞前に「野球部至上主義やら学生時代の根暗な自分を思い出して辛い」といった旨の感想や評判を目にしていたんですが、個人的にその辺りはほとんど感じませんでした。
田崎は別に、突き抜けて嫌なやつだった感じはしませんでしたしね。
(成瀬への暴言も、アレはアレで正当な評価だしなあ)
野球部絡みなら、三嶋のほうがよっぽど分別ついてないよなあ、って感じました。
それでも、リアルにいた野球部員よりはよっぽど大人しいじゃん?

どちらかと言えば、「自分のアイデアを生徒に押し付ける教師」や「代替案を出さないくせに文句ばかり言う俺ら」のほうがよっぽど不快な記憶を思い起こさせましたね。

ああ、もちろん成瀬両親が最高に不快な気分に突き落としてくれましたけどね。
(個人的には、母親の演技も好きではなかった点が拍車をかける)





しかし、決して突き抜けて不快になった感じはしないんだよなあ。

あくまでも現実の延長線上に居るファンタジーとでも言うのか。
それでいて、ファンタジーでないと描けない物語と言うか。
そういう点では、ファンタジーの延長に現実を構築しようとした『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』よりも僕好みでした。
ある意味では『とらドラ!』のほうに近いのかもしれない。



成瀬のコミュニケーション方法は、アニメーションならではの表現でした。パタパタと動く成瀬は、すげぇ可愛い。
ミュージカルという表現方法は、映像媒体ならではです。小説とか漫画だと、難しいものもあるでしょう。
それらの点で(だけではないけど)、アニメーションとして良くできた作品でした。

そう言えば『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』という書籍内で、音楽によってキャラクターが生き生きとする、といった指摘があったように記憶しています。
(確か、それに伴うリップシンクがリアリティを与えているという補助線もあったはず。今手元にないので確認できないんですが……)

言葉を封じた少女が、音楽によって感情を吐露するという表現は、そもそものアイデア自体が面白いです。
しかしそこには、ミッキーが当時の視聴者に衝撃を与えたのと同様の効果も含んでいたのかな、と妄想してみたくなります。



玉子の王子は、「駄洒落かよ」って感じもしましたが、玉子が割れて黄身や白身、そして血が流れ出るのは、中々にゾワッとしました。
アレもアニメーションならではの表現だよなあ。スクランブルエッグに恐怖を覚えるとは






ここまでで分かるように、作品は非常に好みでした。好感が持てました。
但し、脚本家の性質(性格ではない)が悪いんだらうなあってのは強く感じましたけどね。

そりゃ、山の上にあるお城がラブホなんて、ランドセル背負ってるような子どもが分かるわけないよなあ。
お城に憧れるのはややファンタジー寄りですが、「夢見がちな少女」ならちかたないのかもしれぬ。
そんな少女に浮気現場を目撃させるのは、ひどいよなあ。

ってか、そんな近場にあるお城で浮気してんじゃねぇよ……。
近場じゃなければ良いって問題ではありませんけど。

んで、離婚の原因を娘に求める両親。
養育費とか慰謝料とか、その辺りはどう決着したんでしょうね。
離婚する前の家族生活を、見てみたかった、ような。
いや、それが仕合わせそうであればあるほど不快感がひどいので、描写されなかったほうが良かったのか。



そんな少女が王子様に出会い、仕合わせになる話かと思えば、坂上と仁藤がくっつくのね……ふぇぇ……。

あの辺りは、興味深かったですね。正直、あの二人は恋愛感情よりも未練と後悔でつながっているようにしか思えなかった
仕合わせになれんのかなあ、あの二人は。どうせなら、そうなっては欲しいけど。

田崎が成瀬に告白する流れは嫌いじゃない。むしろ好き。
けど、そのシーンで〆るのは好きくなかったです。
成瀬が了承しても拒否してもモヤモヤするので……。
だからこそ照れ顔・焦り顔でカメラを切ったんでしょうが、んー。
アレをやられちゃうと、お互いに乗り換えたようにも思えちゃうんですよね。
そこは現実寄りじゃなくて、ファンタジー寄りで良かっただろ。



恋愛感情って、何なんでせう。それも、高校生(と言うよりも中学生)の恋愛感情。



この作品、何がズルいって、物語構造が騙し絵的になっているんですよね。
分かりやすい欠落回復の物語構造でありながら、誰が何を欠落したのかを混在しそうになってしまう。

成瀬が欠落したのは、あくまでも言葉だけなんですよね。感情は、恋愛感情は別に欠落していたわけじゃありません。むしろ感情豊かなのだと、繰り返し強調されます。

にも関わらず、ふれ交委員の他三人が全員、恋愛感情の欠落をしているため、成瀬もそうであったと錯覚しそうになるのです。両親が離婚しているのも、その錯覚に説得力を持たせている。

別に成瀬は(物語構造的には)恋愛感情を回復させる必要はないのだから、ああいう展開になっても不思議じゃないんだよなあ。むしろ、言葉だけを回復させるという一貫性を保つ、強固な構造をしているのです。



でも、やっぱり意外だったよね。お前ら結ばれないのかよって。



恋愛感情の欠落回復を目的とする三人にとっては、アレが理想的な展開ではあったんでしょうけど。
見事に四人とも、欠落回復という目的を果たしているんだよなあ。田崎がやや不透明ですけれども、成就しなくても恋愛は恋愛だし、やはり回復はできているでしょう。




とまあ、そういう構成・構造を取っていたので、脚本家の性質が悪いと感じます。

ああ、そういう田崎の行動が、野球部至上主義ってことかしら? 可愛い成瀬を取りやがって、みたいな。




決してスッキリはしないものの、モヤモヤ感は残らない。
モヤモヤはしないけど、どこかスッキリしない後味。

そんな、不思議な感想を抱く作品でごぜぇました。






もう一回観たいかってなると、少し間を置いてから観たいかなあ。

言っちゃ悪いけど、痴情のもつれってそう何度も観たい話ではないので。
ただの青春万歳モノは、それはそれで薄っぺらくなることも多いので、そこをカバーする四角関係は魅力的ではあったんですけれども。

感動青春群像劇を謳いながら、恋愛讃歌の青春モノに対するアンチテーゼを含んできたのは、本当に面白いです。これがあったからこそ、作品の深みが素晴らしいことになってる。

ただ、失恋ってそう何度も経験したいものじゃないんだ……。





物語とは別に。
僕の目が悪いのか席が悪かったのか、パースやレイヤーで気になる点がいくつかあったので、そこを確認したい感じはありますね。
たまに位置関係が把握できないカットがありました。具体的にどのシーンかは覚えていないんですけど。坂上と仁藤の病院帰りだったかなあ。

他だと、画の統一性がなかったように感じたカットもいくつかありました。
主線の太さとか、輪郭線の描き方とか。
そこがどういう効果を生んでいたのかも、確認したいところ。

例えば最初に音楽準備室を訪れるシーンでの、アコーディオンの描かれ方、とかね。





後は、ミュージカルの完全版も見てみたいですね。円盤には収録されることを祈ります。







とまあ、この手のオタクにしては珍しく(?)好感の持てる作品であったと感じております。
ジブリで好きな作品は『耳を澄ませば』とか答えちゃう畑の住人ですからね。
好きなライトノベルは、『半分の月がのぼる空』です。
青春モノは、好物なのです。



この作品をどう評価するかで、オタクの世代が垣間見えるような気がします。
ファッションオタク(新世代オタク)を嗅ぎ分ける指針に成り得るというか。
統計出ると面白いんだけど、無理だろうなあ、おい。
 
少なくとも、誰彼構わずオススメできる作品ではないと感じました。
ファンタジーをファンタジーだと捉えられる畑の住人じゃないと楽しめないんじゃないかしら。

「感動するから絶対に観たほうが良い!」という作品ではありませんね。かなり人を選びます。失恋をどう受け止めるかによってはむしろ鬱になりますし。NTR的に捉えることも可能だもんな。

少女の成長に感動……って意味では、若い夫婦、これから結婚するアベックとかがターゲットなのかしら。
初っ端が不倫なので、それもまた違うのか。

んー、ターゲットが分からぬ。やっぱり、新世代のオタクか?