痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

なぜ物語を好きになれないのか――『仮面ライダードライブ』感想(特別編を除く)

やっほほーい! 日谷さんです。
まさかのシルバーウィーク全休で、驚愕している日々でした。
その分、今月分のお給与が心配です。

さて。
少々遅くなってしまいましたが、表題の通り『仮面ライダードライブ』の感想をぶん投げようかと。
まだ最終話は迎えておりませんが、前回の第47話が実質の最終話だったということなので、別に問題はないでせう。

もちろんネタバレ前提でお送りしますので、ご注意くださいませ。

 

はてさて。
感想も表題の通りなんですけどね。


物語は大嫌い。一部のキャラクターは好き。


これが、『仮面ライダードライブ』の感想です。





何故物語が嫌いだったのか。
端的に理由を申せば、主人公勢のスタンスが不安定過ぎたからです。



違和感が明確になったのは第19話。ロイミュード065の事件です。
あそこで橘を見逃すのは、果たして警察の仕事なのでしょうか。
私立探偵じゃないんだぞ。デカだからこそ、ちゃんと法的に罪を償うべきだったんじゃないかなあ……。
ロイミュード関連の罪状は整備されてるっぽかったですしね。
せめて、逮捕じゃなくて自首をさせるとか、捕まえるけど時効になるまで待つとか、魅せ方はあったように思っちゃいます。


そして違和感がマックスになったのが、第20話。ロイミュード072の事件です。
あそこで、ロイミュードと分かり合える道が提示されました。
にも関わらず、主人公勢はロイミュードのコアを破壊し続けます
剛は分からんでもない。ロイミュードってのはそのまま、親父の罪の象徴なんですから。
けど、進之介までコアを破壊し続けるのはどうだったんでしょう?
あの段階で既に死神・魔進チェイサーの行為から、ロイミュードは再教育が可能だと提示されていたんですよ?
しかも、この回ではその死神の行為を肯定するような旨の発言すらしています。
「だったらこの回以降、コアは残してやれよ……」という気持ちが拭い切れませんでした。



実は主人公勢だけでなく、ロイミュード側にもやや違和感は残ります。
最後までカリスマを発揮し続け、他のロイミュードのことを友と呼ぶ、素敵なリーダーハート様
(彼のカリスマ性がコピー元に準じていたのかどうかが気になるところ)
しかし彼は、ロイミュード000を改造してまで、使い続けていたんですよね……。
しかも、000にさせていたのは、「友のリセット」彼の言う友とは何だったのか
ロイミュードの倫理観は人間のそれとは異なると、言ってしまえばそれまでの話なんですが。
ただその場合でも、超進化態に至るために、感情の赴くままに好き勝手させておいたほうが良かったような気もしてしまいます。


超進化態と言えば、目的が最後まで不透明だったのも不満点ですねー。
グローバルフリーズはあくまでも手段であって、その上で何を為すかが大事なはずです。
蛮野博士はグローバルフリーズ下で全人類の情報掌握を目的としていましたが、ロイミュードは、と言うかハート様は何を目的としていたんでしょう。

そう言えば、蛮野博士のデータを持ち続けていたのも少々謎ですね。
憎悪の対象としてはトップレベルでしょうに。
グローバルフリーズのために必要だったのかしら……?





そして何よりも気に入らない点は、クリムの行為です。


クリムの罪は、誰がどう見たってロイミュードを産みだしたことではありません


蛮野博士からのDVを受けているロイミュードを見捨てたこと、それこそが彼の罪です。


彼が蛮野博士からロイミュードを庇っていれば、ロイミュードも少しは良い子になった可能性があります。
実際、(そういうプログラムとコピー元だったとは言え)ナンバー000は人類側の戦士として活動していましたからね。

にも関わらず、クリム博士が贖罪として選んだ道は「ロイミュードの撲滅」

しかも、その人造人間殺しを他の人間に行わせるというものです。

ゴルドドライブや、タイプトライドロンの運転手交代。あるいは映画での暴走を見るに、身体さえどうにかできれば本人が戦えたんじゃないでしょうか?
それこそ、ナンバー000に装着させるとか。

その辺りの一切をスルーして、彼の贖罪を肯定する特状課が、少し気持ち悪かったです。
諸悪の根源の一人なのにね!


他にもタイプトライドロン関係の話で興醒めしたとか、挙げようと思えばいくつか出てくるんですが、あんまり好みではなかった点を連々書いても気分が落ち込んでいくだけです。







これだけボロクソに言っている『仮面ライダードライブ』ですが、じゃあ嫌いだったのかと問われると、必ずしも肯定はできません。

と言うのも、キャラクターの関係性という点においては、平成でも屈指の出来だったと感じているからです。



言うまでもなく、詩島剛とチェイスの関係性です。



最後まで、チェイスのことを人間ではなくロイミュードだと思い込もうとした剛。

最後まで、ロイミュードでありながら人間への理解を求め続けていたチェイス。



この二人の交流が、『仮面ライダードライブ』の面白さの八割以上を占めているんじゃないでしょうか。

故に、第45話は非常に好感が持てました。
チェイスの最後を看取ったのは剛だけ。彼を人間同様に扱っていた霧子や進之介ではなく、ギリギリまで人間ではなくロイミュードとして扱い、でもその扱いに徹し切れなかった剛だからこそ、あの感傷が生まれています。
そしてそれを受けての第46話。剛がチェイスを友として認めたことで、(第47話で発覚する)ハート様の願いが果たされた、という構図も素敵です。



剛とチェイスは中盤以降、密接に関わり続け、そして物語開始時点で因縁があるという点も加味し、互いが互いのキャラクター性を深め続ける理想的な関係性を構築しています

こういう異種交流は、ちょっと類を見なかったように記憶しています。素敵。

剛ももちろんなんですが、チェイスが実に良い味を出してるんですよね。

人間になろうではなく、人間を理解しようとするスタンス。
故に、最後はロイミュードとして自爆の道を選ぶ。
戦士としての意識もあったんでしょうが、それ以上に人間ではないから、というものが根底にあったのではないかという気がしてなりません。



異種との交流。やっぱり良いジャンルだなあ。

「人間にとっては悪党でも、俺にとっては友達だったんだよ……!」

は、非常に痺れましたもの。こういう思想の違いをどう捉えるかも、興味深いジャンルですよね。

ロイミュードを殺し続けた『仮面ライダードライブ』を、異種交流の物語として捉えて良いのかは、疑問の残るところです。











余談。

仮面ライダードライブ』は、『仮面ライダーW』の本歌取りをしたいのかな、という点が多々見られました。
例えば、「二人で一人の仮面ライダー」。ベルトさん状態ではそこまでは思いませんでしたが、二人の意識と一つの身体であるエクストリームとタイプトライドロンまで進むと、「もしかして」という気持ちにさせられます。

ドーパントを決して許そうとしなかった初期照井は、ロイミュード撲滅を謳う剛とキャラの似ている点もありますね。

となると、チェイスは誰か(霧子)を救えた大道克己・エターナルと言ったところでしょうか。
誰ひとりとして救えないままであったなら、チェイスは人間撲滅マシーンでい続けた可能性もあるわけですし。

仕合わせを掴んだ大道克己を、見てみたかった誰かがいたのかもしれませんね。






さらに余談。

以前、剛は霧子を母親的に捉えているんじゃないか、という妄想をしたことがあります。
実際、剛は“あの”蛮野博士にすら父性を求めていた節があり、家族愛に飢えていたようにも映ります。

そしてチェイス。
彼は愛を学ぶ際に、家族愛と異性愛を混同していた節があります。
彼が求めていたのは、どちらの、あるいはどのような愛だったのか。
どちらにせよ、彼もまた愛に飢えていたように映ります。失恋してますしね。

結局、剛はハーレー博士という父親に、進之介という兄、そしてチェイスという友を得ることができました。
彼に比べてチェイスは生前、何を得ることができたんでしょうね……。

って考えると、あの免許証とシグナルチェイサーがまた違った魅力を発揮しますなあ。