痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

空気系の“テーマ”を妄想する。――『ラブライブ』を教材に。

やっほほーい! 梅雨時に弱い日谷さんです。

一週間に一度の更新が目標なので、テキトーに駄文を書き散らかします。
とても面白い考察記事を読んだので、それに感化されたというのもあります。

それがこちら。

『テーマってなんぞや』

 
こういう「テーマ」の捉え方は非常に面白い。
そしてこう分類してみた時に、“見えない”とか“ブレてる”と言われるのは「話の方向」なことが多いのかなあ、なんて思ったりも。

複数の概念を内包している言葉を、概念毎に分類しようとするアプローチ、僕は大好物です。
(じゃなきゃキャラクター論に魅了されたりしませんし)
良いものを読ませていただきました。作者様方に感謝。




……正直、今回の記事は「良いものを読んだなあ」で終わってしまうのですが、それだとわざわざブロマガにしている意味が無いので、この「テーマ論」を用いて、少々踏み込んだ妄想をしてみようかと。








空気系のテーマって何だったんでしょうか?



こう考える理由の背景には、「ラブライブで感動した」と言われても全くピンとこなかった僕の経験があります。

いえ、「ラブライブで感動した」までは共感できるんですよ。特に一期は花田十輝っぽさ全開で大好きでしたし。

ただし、「○○ちゃん回で泣いた」と言われると、理解が追いつかなくなりました。

「30分にも満たない、キャラクター消費の物語で、涙を流すほど心が動くか……?」と、なってしまったわけです。






しかし、ラブライブの(あるいは空気系の)テーマを意識することで、それらの感情を理解できるようになるのではないかと。

上記の「テーマ論」を元に、テーマを三点に分類してみます。



持続的な楽しみは「ラブライブの出場」

人の心を動かすテーマは「女の子たちの成長」辺りでしょうか?

そして、瞬間的な満足感は「特定キャラクターの魅力を訴える」だったのではないかと。






このように捉えてみた場合、所謂『○○ちゃん回』は瞬間的な満足感に特化している話ということになります。
が、それ以外の話でも、瞬間的な満足感がないわけではないことに気づくのです。
(そうでなければ、「テーマ」になりませんし)



言い換えるならば、『○○ちゃん回』はそれまでの瞬間的な満足感が積み重なり、爆発する回なのではないかと妄想します。

すなわち、『○○ちゃん回』は30分足らずの物語ではなく、それまでの物語を含んだ物語。
その前提の上での、「○○ちゃん回で泣いた」ならば、確かに納得できます。






このように考えてみると、供給側の目的も薄っすらながら見えてきます。

全ての登場キャラクターを平等に愛して貰う必要はない。むしろ、そういう博愛的な消費は好まれないのかもしれません。



特定のキャラクターだけを深く強く愛してもらい、キャラクターグッズを消費してもらう。
人気があるキャラクターは、優先して露出させる。そしてまた人気が出る。

そういう供給をしているのではないかなあ、と。



このような意図が見える企画、近年ではいたるところで目にしますよね。
ソシャゲの景品なんかもそうです。「○○ちゃんキター!」となり、そのキャラクターのファンは全力で走り、そうでないならリソースを蓄える。

もちろん、世の中には全イベントで全力を出す博愛的な消費者もいるんでしょうが……。

大多数は、前者の消費スタイルなのではないかと、思い込んでおります。実際はどうなんでしょうね?



こういう消費志向があったから空気系が流行になったのか、それとも空気系が流行したからそのような消費志向が生まれたのか。

どちらが先なのかは分かりませんが、少なくとも現代において「特定キャラクターの魅力を訴える」という「瞬間的な満足感=テーマ」が欠けている作品は存在しないのではないか、と愚考します。

そしてその中でも、空気系と呼ばれる作品群は、三種類のテーマの内の「瞬間的な満足感」を最重要視した作品のことなのではないかなあ、と定義づけてみたり。






ただ、ここまで書いて思ったんですが、この愚考には『カップリング』消費の概念が欠落しているんですよね……。

特定キャラクターの魅力を高めるためのカップリングなのか、両者を愛するからカップリングなのか。はたまた他の捉え方の上に成り立っているのか。


オタクの感性を理解するのは難しい。これ、ファッションオタクの辛いところです。