痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

実は第五話が嫌いなんじゃないのか。――アニデレ第五話再考

お早うございます。頭が硬いことで知られていたりいなかったりする日谷さんです。

本日はタイトルの通りの記事です。
そういう性質の記事であるため、閲覧非推奨です。
いや、それならブロマガ書くなよって話なんですけれども。

あ、「それは違うよ!(論破)」は大歓迎でございます。

 


さて。

端的に申しますと、

「みくにゃんの暴走理由と暴走を抑えた理由がよく分からん」

「みくにゃんのキャラが気になる」

――の、二点が理由です。









前者から参りましょう。



みくにゃんの暴走は、一点からなるものではなく、複数の要素が混在しているものだと捉えたほうが適当でしょう。



・後からやってきたニュージェネレーションズが自分よりも先に舞台に立つ。

・上記の理由が、城ヶ崎美嘉によって選ばれたからだというもの。

・ニュージェネレーションズが先にCDデビューを決める。

・ラブライカが先にCDデビューを決める。

・前述二つの理由が明かされない。

・「どうなるの?」の問いに「企画検討中」の返答。

・デビュープランの提出に対しても「検討します」の返答。さらに「おそらく通らない」の追加。

(・ならば、「どうなるの?」も「おそらく通らない」ってこと? という思い込み?)

・「しばらくデビューはなさそうだねぇ」という、だりーなの言葉による焦り。

・「諸々ちゃんとしてればいつかデビューできるよ」の、かな子の言葉(未デビュー組の、全体的な諦めムード)
 (この言葉を受けて、「みくは諦めないにゃ。ストライキにゃ」の宣言をしているため)

・「何が違うの!?」という想い。
 (私だってちゃんとしている・頑張っているという考え)

・「プロデューサーに放っておかれているんじゃないか」という不安。

・「いつまで頑張れば良いの!?」という不安・焦り。





取り敢えず記憶している限りでこんなところでしょうか。
多分他にもあるでしょうし、暴走した理由に関してはそこまで首を傾げる要素はありません。

ニュージェネレーションズは明らかに優遇されていますし、そうでなかったラブライカだけが先にデビューするのは、「みくと何が違うの?」と思うのも当然でしょう。

引っかかっているのは、みくにゃんが暴走を収めた理由です。

みくにゃんの暴走を止めたのは、プロデューサーの言葉です。



・皆さん全員分のデビューを考えています。
 「シンデレラプロジェクト」という企画なのだから、当然では?

・順次ユニットデビューしようと思っています。
  但し本決まりではなく、いつ決定されるのかも明示されず。



 ……涙を止めて、笑みを浮かべるに値する言葉でしょうか?



結局具体的なプランは皆無です。絶無です。

「じゃあ、一年後にデビューさせるね」となった場合、みくにゃんは一年間頑張れるんでしょうか?
五年だったら? 十年だったら?

「現実的な数字ではないから、そのようなことは初めから考えていない」というのがこの場合の正解でしょう。
ですが、結局「先の見えない不安」というのは、何も解決されていないはずなのです。





暴走を止めた言葉と、それまでの「企画検討中」の間にある大きな違いは、



前川みく(シンデレラプロジェクト全員)のデビューを考えています」



ということが明示されたことです。
裏を返せば、それ以外は「企画検討中」と何ら変わりはありません







と、するとです。

みくにゃんの暴走に関して、最も大きかった要素は、



「プロデューサーに放っておかれているんじゃないか」

「プロデューサーが自分を見ていないんじゃないか」




という不安にあったような気がしてなりません。





そしてその考えに至ったことで、「みくにゃんのキャラ」に対して疑問が生まれるのです。














ここで余談を。

「キャラ」と「キャラクター」は異なる概念です。

もちろん同一の概念として考察していらっしゃる方々もいますか、先行研究にそのような区分を提唱したものがある以上、意識したこともないという方はあまりいないのではないかと愚考しております。

そのように、今でも「これだ!」という定義がなされず、進行形で考察がなされている「キャラ」及び「キャラクター」という概念ですが、取り敢えずの定義をしなければ話ができません。



このブロマガでは、

「キャラとはテクスト(作品)における役割及びそれを担う人物像」

として捉えます。


また、

「キャラクターとはメタ物語性(テクストからの遊離可能性)を備えた虚構の登場人物」

というのがキャラクターの捉え方です。

前者は『ゼロ年代の想像力』をベースに、『ライトノベル「超」入門』等の考えをミックスしたもの。
後者は『動物化するポストモダン2』『セカイからもっと近くに』辺りをベースとしております。






閑話休題

その前提で話をいたしますと、モバマス』におけるみくにゃんのキャラと、『シンデレラガールズ』におけるみくにゃんのキャラが衝突したのが、引っかかっていたのではないかと気づくのです。



前回の記事におけるコメントで指摘されましたが(コメント感謝いたします)、シンデレラプロジェクトはニュージェネレーションズが来てからの始動で間違いはない模様。
しかし、ニュージェネレーションズが合流する前から顔合わせは済んでおり、恐らくレッスン等もこなしていた。そのために人間関係も構築されていたと考えられるみたいです。

そう考えると卯月が何故シンデレラプロジェクトに先に合流しなかったも妄想できますね。

「既に人間関係ができあがっているところに単身突入させたくなかった」
「人間関係を元にユニット及びデビュー順を考えていたため、島村卯月を含むユニットが完成するのを待っていた」

この辺りでしょうか。



その妄想が適当かどうかはともかく、シンデレラプロジェクト始動直前は、プロデューサーは(主にしぶりんと卯月の)スカウトで忙しく、みくにゃんとの交流は希薄であったと考えることができます。
もしもそのタイミングで充分な交流をはかり、互いを理解できていたのなら、「企画検討中」の本意も読み取れていたでしょうし。



では、「自分を見て欲しい」ってどういう意味だったんだろうか



「アイドルとしてデビューするために、プロデューサーとして見て欲しい」「プロデュースして欲しい」
こういうものが、シンデレラガールズ』では適当なんでしょう。
しかし、そうであるなら具体性の欠片もない言葉で説得されてしまうのはどうにも腑に落ちません。
それは「プロデュースするつもりです(予定です)」であって、「プロデュースします」ではないのですから。
そんな言葉を告げられたことが、「プロデューサーとして見ている」ことになるんでしょうか?



一人の女の子を、一人の人間として見て欲しい。
モバマス』ではそのようなキャラも垣間見せていますね。
それはもちろん、男女の恋愛という視点だけではありません。
気の合う相手。一緒にいて楽しい相手。友人。構ってくれる大人。その辺りの関係として、自分のことを見て欲しいというのも、充分納得できます。




――が、それは『モバマス』の話であって、(現段階での)『シンデレラガールズ』には明らかに噛み合っておりません。

にも関わらず、あのタイミングでの「私を見て欲しい」という承認欲求は、後者の、『モバマス』のキャラの影響が強いように見えます。

例えば、『シンデレラガールズ』第五話の同タイミングにおいて、ちひろさんが今後のデビュープランを提出したとして、みくにゃんは同じように涙を止めて笑顔を浮かべることができたでしょうか?



このことから私には、『シンデレラガールズ』のみくにゃんが、『モバマス』のみくにゃんに引っぱられてしまったようにしか思えないのです。

シンデレラガールズ』のみくにゃんが、プロデューサーに一目惚れしていた。辺りなら解決できるかもしれませんが、それは二次創作の想像力が過ぎるというものでしょう。




「キャラクターが物語をつくるのか」

「物語にキャラが配置されていくのか」



私は創作者ではないので、どちらが多数派(あるいは「正解」)なのか分かりません。
当然、『シンデレラガールズ』がどちらに属しているのかも判断がつきません。



しかし、何故みくにゃんだったのか。他に適当なキャラクターはいなかったのか。
適当ではないからこそ、「キャラの衝突」が発生したのではないか

シンデレラプロジェクトでは、他に適当なキャラクターがいなかった。
なるほど。
なら何故、シンデレラプロジェクトをそのメンバーで構成したのか。

結局ストライキ後もニュージェネレーションズとの会議が描かれ、みくにゃんとの会議が描かれなかったことから、プロデューサーが問題の本質を掴めているのか? という疑問も残る。

――等々。






そういうものが渦巻いてしまったのが、個人的に第五話を低く評価してしまっている理由ですね。

言ってしまえば

「しっくりこねぇ!」っていうワガママなんですが。
「俺が気に入らねぇから気に入らねぇんだよ!」でも通用しちゃいます。

そんなひどい暴論で低く見られてしまう作品が可哀想になるほどの、手前勝手な感想記事でごぜぇました。――以上。













なお。

今夜放送される第六話において、プロデューサーが何か一つでも具体的なプランを提示した瞬間、途端にこの感想記事は破綻します。
その場合は大口を開けて、大笑いしてやってください。冷笑でも構いません。

滑稽なピエロになれることを、心より願っております。