痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

本歌取り的なものを想起させる演出――シンデレラガールズ第三話

「我はメシア、明日この世界を粛清する。」とか言い出してもおかしくない精神状態な今日此の頃、皆さまいかがお過ごしででしょうか。
 
ニコニコ動画にて配信も開始されたことですし、本日は『シンデレラガールズ』第三話の感想記事でございます。

今回は『シンデレラガールズ』第三話だけでなく、『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』のネタバレも含みますので、ご注意ください。

 
さて。

ラフにネクタイをしている女の子が好きな日谷さんとしては大満足な回だった第三話。

シンデレラガールズ』第三話はライブ回であり、その作画も話題となっていますが、何よりも演出が光る一話であったように思います。

というのも、ライブが成功しても失敗してもおかしくはない流れがあったからです。その失敗の恐怖があったからこそ、成功した時のカタルシスも素晴らしいものがあった、と。



では、どのようにしてその流れをつくったのか。

そのひとつには『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』の存在が挙げられます。




THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』の物語展開には、765プロのライブに、新人アイドルをバックダンサーに起用する、というものがあります。
そして、その本番前に行ったライブにて、新人アイドルは見事に失敗
何故か「引き継ぎ失敗か?」と情報誌で叩かれる展開になってしまったわけです。




そして、「新人アイドルをバックダンサーに起用」という流れは、『シンデレラガールズ』とも非常に酷似しています。




このような本歌取り的な展開だからこそ、「『シンデレラガールズ』も失敗するのでは?」という一抹の不安が胸から離れなくなっているのです。

特に、『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』は、その失敗を乗り越えて本番を迎えるという展開を取っていたため、『シンデレラガールズ』もここで一度失敗という挫折を経験し、その「欠如の回復」物語に向かう可能性が、どうしても頭からは離れないのです。巧い。



アイマスとは関係ありませんが、「三話で絶望感を与える」アニメ作品の前例がいくつかあるのも、視聴者に無意識的な恐怖を与えていたのではないかと愚考します。具体的な作品名は挙げませんけれども。




もちろん『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』を観ていない視聴者にも、不安を与える演出がいくつか見受けられます。




例えば、そもそもプロデューサーが乗り気ではなかった点。

例えば、プロデューサーの「今日の全てが、貴重な体験になる」という言葉。

例えば、本番当日でありながら上下の概念を確認していた点。

例えば、「シューズの感じが違う」という言葉。

例えば、テクリハにおいて奈落からの迫り出しに失敗した点。




挙げればキリがない……というよりも、あらゆるものが「フラグ」に思えてしまう言動のセンスが垣間見えました。BGMも、結構不安を誘う類のものでしたし。



そのような不安を誘う演出があったからこそ、ライブが光ったのです。ライブ後の卯月ちゃんが、可愛かったのです。






正直、ライブという一種の試練がどのように扱われるのか、一話に詰め込んで大丈夫なのかと、予告の段階では余計な心配をしたりもしていました。

しかし蓋を開けてみれば、むしろ一話にまとめたからこそ効果的になっている演出の数々。
そういった心配は全て杞憂に終わりました。



この調子なら、『シンデレラガールズ』は何の心配もせず楽しめそうだなあ、なんて思うのですが、同時に「何かしらの試練・欠如がこの先描写されるだろう」という不安を取り除けない自分に嫌気が差したりもします。

シンデレラガールズ』を『アニマス』の本歌取り的に考えてしまうと余計に、だったりしますね。

 

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