痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

「コミュニケーション志向メディア」的なゲームのアニメ化――艦隊これくしょん -艦これ-第一話

2015年冬アニメ感想シリーズ。第三弾は『艦これ』です。

アニメ『艦これ』に関しては既に多くの感想や考察があり、今更一話の感想記事投げてもなあ感があるんですが、自分の思考を記録付ける目的で書いてみます。つまりこの記事は個人的なメモ・覚え書きです。

アニメ『艦これ』は、『シンデレラガールズ』と比較する記事が多く見られるため、その辺りと何とか差別化するのを目標に書いてみます。

――が、当方、ゲーム『艦これ』を着任後一週間程度しか遊んでおらず、またその記憶も曖昧なため、すげぇテキトーなことを言い出す恐れがございますご注意ください
いつものように、ネタバレにもご注意くださいませ。


さて。

「コンテンツ志向メディア」

「コミュニケーション志向メディア」




という言葉あるいは概念をご存知でしょうか。『ゲーム的リアリズムの誕生』を参考としているので、読んだ方はご存知かもしれません。



知らない方はググっていただければ幸いなんですが、乱暴に説明すると。




「コンテンツ志向メディア」は送信者から受信者へと一方的「コミュニケーション志向メディア」は送信者と受信者が双方向的なメディアのことを指します。




で、ゲームはどっちなのかって話なんですが、ゲームは「コミュニケーション志向メディア」に類していた、とされています。

「ゲームが双方向的?」って疑問もあると思いますが、この場合のゲームはTRPG辺りを想像していただけると分かりやすいかと思います。
TRPGGMとPLの双方向的なコミュニケーションでゲームが進行しますよね? ああいうイメージです。
TRPGをご存じない方は、人生ゲームあたりを想像していただいても大丈夫です。他人と一緒に遊ぶのがゲームであり、他人と一緒ってことは双方向的ってイメージです。

「じゃあコンピュータゲームはコンテンツ志向メディア?」って疑問の答えも、基本的に否です。
イメージとしては、「コンピュータ(システム)が遊び相手になってくれている」と想像してください。まあ、双方向と言えなくはない、ような?

この辺りのイメージが難しいのは、おそらく「今」のゲームが「コンテンツ志向メディア」になっていることが背景にあります。
要するに「物語を読む」ゲームですね。分かりやすいのはノベルゲームやソーシャルゲームでしょう。
他にも、ゲームに「物語性」や「ストーリー性」などを求めることからも、ゲームが「コンテンツ志向メディア」的になっていることが伺えます。

つまり、「コンテンツ志向メディア」か「コミュニケーション志向メディア」かは、「物語を重視するかどうか」で判断できるってことです。

全て『ゲーム的リアリズムの誕生』を参考。当方の独自解釈につき、誤っている可能性大)





で、『艦これ』の話です。
ゲーム『艦これ』は、「コンテンツ志向メディア」的ゲームなのか、それとも「コミュニケーション志向メディア」的ゲームなのか。

一週間も提督をやっていない人間の意見なので賛否両論あると思いますし、下手すると否の意見しかないかもしれませんが、私は「コミュニケーション志向メディア」的だと捉えています。


理由はいくつかあるのですが、主な理由は


・物語が描写されないあるいは希薄

・ゲームとして(あるいはゲームシステムが)評価されている


の二点(主に前者)でしょうか。ゲーム『艦これ』って、現代では割と珍しい(?)、物語が希薄なのに人気を博しているゲームなんですよね。
これって「コミュニケーション志向メディア」的じゃないかなあ、と。


余談として、個人的に物語が希薄と感じる理由ですが、艦娘ごとのカード枚数ってものも大きいようにも思えます。
他のカード収集型ゲームだと、同一キャラクターが複数のカードになっているのは珍しくありません。
しかし『艦これ』には、改造というシステムはあるものの、聖夜型とか、バレンタインイベント限定とか、そういうカードはありませんよね。……確かないですよね?





アニメ『艦これ』は、そんなゲーム『艦これ』の特徴を残したままアニメ化された作品のように感じます。

ゲームで描写されない物語(何故艦娘が海路を確保するのか・鎮守府の長期的な目的等)は、アニメでもあまり触れず。
艦娘の掘り下げも、ゲームでの描写を準拠し、決め台詞や口癖の応用性に乏しい。

そんな印象を受けました。――以上。





正直に申しまして、「感想がない」ってのが感想なんですよね、アニメ『艦これ』に関しては。
その理由をこの記事では「コンテンツ志向メディア」「コミュニケーション志向メディア」というものに求めてみましたが、果たしてそれが適当なのかは自信ありません。

最後まで観ないと、評価できない作品かなあ、と。
少なくとも一話ごとに感想を書くというのは、私には難しそうです。

花田十輝が関わっているので、個人的に「そういう」期待はしているんですけどね。