痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

合縁奇縁なき衆生は度し難し


本日は成人式だったようです。

 

 


 僕が成人式を迎えてからは、まだそれほどの時間は経ってはいないのですが、それでも「懐かしいなあ、おい」という感慨に耽ってしまいます。思い出せるのは成人式後の同窓会のことばかりで、成人式そのものの記憶はかなりあやふやなんですけれども。いや、それにしても懐かしい。正式な同窓会の連絡が来なかったんですよね。地元の友人から「そう言えば日谷は同窓会出られるん?」というメールが飛んできて初めて「……あ、同窓会やるんだ」と発覚したわけでございます。メールを送った彼もさぞ気まずかったことでしょう。その後は幹事に直接参加しても問題ないのかの確認を取り、無事に出席という流れに至ったのでございます。因みに正式な連絡が届かなかった理由なんですが、どうにも連絡網的に電話やメール、LINE等々で同窓会のお知らせを届けていたようなのですが、僕の前の方と幹事勢が、僕に対する連絡手段を有していなかったぽいのが理由です。すなわち、僕がいじめられていたわけではないと思います、多分。スクールカースト的には最下層に位置づけられていたのは間違いありませんが。
 何故に連絡手段が消失していたのかと言うとこれまた単純な理由でございまして、僕が上京(東京ではないので正確には上京という表現は正しくない)をしていたのが原因だそうです。加えて、携帯電話を所持し始めるのが遅かったので、あまりアドレス交換をした相手が多くなかったとかもありますね。自分の周囲ではあまり関東に出て行く知人がいなかったため(関西のほうが近い為、出て行くなら名古屋・大阪・京都・神戸辺りが多かった)、関東で地元の知人に会う機会もほぼ皆無、結局として「アイツ何してんだろ」とか「日谷……? ああ、何かいたな」という存在になってしまっていたんですね。そんな中で参加した同窓会でしたので、そりゃあ楽しかったです。潰れかけていた縁を回復させることもできましたからね。あゝ楽しかった。尤も、現在ではまたその縁も消えてしまっております。一人東京に出てきている方もいらっしゃるのですが、「公演見に来てよ」という誘いにガン無視を決め込んだために消失しました。言い訳をするならば、その時期は大学卒業を一ヶ月とかに控えているにも関わらずいまだに内定が出ておらず、何時自殺しようか方法は如何とするか等と思考を張り巡らせていた鬱真っ只中、外部との接触なんて以ての外と、就活サイト以外からのメールは基本的に未読で放置したため発覚が遅れたという背景もあります。それでも潰してしまうには惜しい縁だったと、今更ながらに後悔しているのです。夢を追いかけ、そして掴みかけていたという点で、尊敬できる相手でもありましたから。何故あんな対応を取ったんだ過去の僕。
 要するに縁なんてものは簡単に消えて潰えてしまうものなのです。実は大学在学中に所属していたサークルの後輩が、この連休でイベントを行っていたりします。が、僕は行けません。と言うのも、僕が彼らから嫌われているからです。この嫌われているというのも僕のネガ思考が引き起こしている思い込みであれば良かったのですが、幸か不幸かこれにはれっきとした証拠(言質)が存在しておりました。しかもそれを動画という形で保存、その保管場所に僕が簡単に目についてしまう場所を選ぶという、素敵な対応をされております。如何に鈍い僕でも流石に察するというものです。しかしこれの怖い点は、僕が何故にそこまで嫌われたのかが、ハッキリとは分からないというところにあります。鈍いですから。在学中から好かれてはいないなあというのは気づいていたんですが、何か象徴的な出来事があったりしたのでしょうか。普段の言動・態度で少しづつ――という理由ならまだマシなんですけれども。「あれだけのことをしでかしていて理由が分からないんですか?」なんて事態でないことだけを願います。因みにと言うか何と言うか、実は嫌われているのは後輩だけでなく、同期からもだったり致します。こちらは理由が明確であり、そして十割以上僕に問題があるものなので、反省していても後悔はできないというか、後悔する資格もなかったりします。それでもやっぱり、寂しいものを感じてしまうのが僕の欠点でしょう。
 とまあ、縁なんてものは簡単に消え去ってしまいますし、それが回復する機会というのはあまり多くはありません。マイナス感情がゼロに近づくことはあっても、プラスにはならないでしょう。マイナスにプラスをかけてもマイナスなのです。いや、ここで掛け算が正しいのかは分からないんですけど。じゃあマイナスにマイナスかけたらプラスかよっていう話にもなってしまいますし。でもお互いが相手にマイナス感情を抱いているなら、積極的に関わろうとしないので、状況的にはプラスってことで良いのかしら。掛け算といえば、腐女子腐男子でも構いませんけど)って数式でも妄想できたりするんでしょうか。鉛筆と消しゴムみたいな話は有名ですけど、算数の教科書を手にとって「2×3とか有り得ない。3×2でしょ」とかやってたりしないんでしょうか。むしろそれがスタートだったりしてもおかしくはありませんよね。生徒時代に一番良く目にするであろう式なわけですし。
 最後の最後に話が逸れましたが、縁は大事にしましょうという自戒でございました。切るべき縁も当然あるでしょうから、それを判断することも大事。独りで生きていけるような強い人間なら、そんなことは気にしなくても済むんでしょうけど。

阿良々木君が称えた人間強度の概念は、やはり的を射ているんだよなあ。

 ――〆