痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

『ハリー・ポッター』をいつ頃から惰性で読んでいたのか妄想する。

やっほほーい! 日谷さんです。

最近、金曜ロードショーでハリポタを流しているみたいですね。
ハリー・ポッター……懐かしい……。
小学生の頃に、夢中になって読んでいたような記憶があります。

小学生なのに英版読んでる意識高い系に煽られたことも唐突に思い出しました。彼女は今何をしているんだろうか……。



さて、そんなハリポタ。
途中までは楽しく面白く読んでいたはずなのに、ある境からは惰性で読んでいたような気がします。
当時は感性が変わったとか、空気系に触れすぎたのかとあまり気にも留めていませんでしたが、文学部で勉強した今ならそれっぽい妄想が垂れ流せるんじゃないかと愚考した次第。



――ってことで、『何故ハリポタをつまらなく感じたのか』妄想、
はーじまーるよー!

 


結論から先に述べると、「非日常が消失した」(+日本人の感性が変わった)だと考えております。

日谷さん大好きな行きて帰りし物語特に「ヒーローズ・ジャーニー」からの参照です。



要素ひとつひとつを丁寧に検証することはしません。
と言うか、手元に書籍がないので不可能です。

なので大雑把にすすめませう。




第一巻『賢者の石』



日常はマグル界、特にダーズリー家のことです。
対して非日常。これは魔法界、特にホグワーツ魔法魔術学校のことですね。



「冒険への誘い」「冒険への拒絶」はホグワーツ魔法魔術学校からの手紙。

「賢者」はハグリッドとダンブルドアに該当するでしょう。

そして「第一関門突破」、ハリーは魔法界へと踏み出すのです。

「仲間や敵対者」は言うまでもないはず。

そして、「最も危険な場所への接近」は闇の帝王&賢者の石の情報、「最大の試練」は闇の帝王との対峙です。



原作では、ダーズリー一家が迎えに来るという「帰還」もばっちり書かれています



ハリーは行って帰ることで、ダーズリー一家に対して「魔法を使うぞ」と、非日常に行く前よりは強気な態度を取ることができるようになった。
そして、「また友だちに会える」と希望を持って日々を過ごせるようになる。
ほんの些細な、しかし確実な日常の変化。



非常に綺麗な、行きて帰りし、ヒーローズ・ジャーニーです。


魔法というワクワクする展開、非業の少年が楽しく過ごす様。友情。謎解き要素もたっぷり。
うん、これは面白い。





では、第二巻『秘密の部屋』はどうでしょう?



日常はやはりマグル界、ダーズリー家。
非日常は魔法界・ホグワーツ魔法魔術学校。その中でも、タイトルを冠する秘密の部屋です。



「冒険への拒絶」はドビーの妨害ですね。「賢者」もドビーかもしれません。ロックハートとは考えづらい。

「最も危険な場所への接近」は秘密の部屋やスリザリンの継承者の噂。
「最大の試練」は、若き闇の帝王との対峙ですね。



第二巻で面白いのは、ハリーが秘密の部屋から帰還したことで何が変化したのか、という点にあります。



ホグワーツ魔法魔術学校に平和が戻る」という日常の変化なのです。
マグル界での変化は特になかったはず。

第二巻終了時において、既にハリーの中の「日常」が「魔法界」に変化していることが垣間見えるのです。

(ドビーの存在に驚いたりもしているため、スタート時点ではまだ日常はマグル界だったと思います)





第三巻『アズカバンの囚人』

「マージおばさんに対して魔法を使う」という、
ハリーにとって魔法が日常と化していることが直接描写されてのスタート。



第三巻において、日常は最早マグル界ではありません。
そこから飛び出し、夜の騎士バスやダイアゴン横丁で休暇を過ごしています。



ハリーにとって日常は魔法界・ホグワーツ魔法魔術学校となりました。


では、非日常は何でしょう?
ホグズミード村」「叫びの屋敷」でしょうか?
あるいは透明マントを被って徘徊している時間?

……やや苦しい。

第三巻辺りから、行きて帰りし物語として捉えるには非常に難しくなってきます。
それでも第三巻が面白いのは、謎解き要素や、何よりも魅力的な大人(キャラクター)たちの存在が大きいです。




第四巻以降についての記述は割愛します。

が、三大魔法学校対抗試合があまり非日常を感じさせない。
闇の魔術に対する防衛術を日頃(すなわち日常)から考えている。
ダンブルドアの様子がおかしいって、非日常なのか?
ホグワーツ魔法魔術学校を飛び出したは良いものの、その時点で日常が崩壊している。

――等、行きて帰りし物語とは読み取りづらい。

すなわち、物語としてのセオリーが崩れているという弱点があるわけです。

この辺りが個人的に合わないんじゃないかと思っている理由。





もう一点として、ゼロ年代は「大きな物語が崩壊した時代」と呼ばれているのが背景にあるんじゃないかな、と。
要するに、物語が壮大になりすぎて、ついていけなくなってしまった



ギリギリ空気系全盛期とは時期が外れているものの、消費スタイルが小さな物語・キャラクターの物語に傾向し始めた時期ではあります。

その点からも、僕の感性には合わなかったんじゃないかな疑惑。
中学に進級してからは、ラノベばっかり読んでいましたからね。
ハルヒ』に『シャナ』に『ゼロ使』に『ブギーポップ』に『薔薇マリ』に『バイトでウィザード』に『戯言』に『吉永さん家のガーゴイル』に『撲殺天使ドクロちゃん』に……忘れてはならない『半分の月がのぼる空』に……色々読んだなあ。

一巻完結の“軽い”話が好きなら、ハリポタは肌には合わないよなあ。




他にも「児童文学にしては重い・暗い」「人が死に過ぎ」辺りもありそうです。


何にせよ、この辺りの理由から『アズカバンの囚人』までは好きだったのかなー、なんて。

そして改めて驚愕する、『賢者の石』『秘密の部屋』の完成度の高さ。

久々に読み返したくなっちゃいました。





というわけで、映画のCMを見てつい懐古しちゃったというだけの記事でごぜぇました。――以上。














余談ですが、『ハニー・ポッター』や「もちのロン!」「マーリンの髭!」系のSSが好きで、今でも読んでいます。
と言うか、今でも新作が投稿されていますよね。

この辺りも、日本人が「キャラクター大好き・大きな物語はちょっと」となっている証左なんじゃないですかね?

 

 

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)