痴レ者につき。

井の中の蛙が、井の中から空を見上げたり、井の中に落ちてきた枯れ葉を眺めては、「これは何だらう」と愚考する系チラシの裏。

融ける如月千早と混ざる天海春香――アイドルマスターXENOGLOSSIA

平成仮面ライダー第一話生放送と、ハリケンジャー生放送のためにプレミアム登録してしまいました。
どうせ登録しちゃったのなら、ブロマガでもやってみようかと。
長い夏季休暇をダラダラ過ごすよりは、一つでもやることを決めておいたほうが生活にメリハリでそうですし。

毎日書くような話題があるのかって考えると頭を抱えちゃうんですけどね。

取り敢えず記念すべき最初のブロマガで取り扱う話題は、
アイドルマスターXENOGLOSSIAです。
やる気がある内に書いておきたかったので。
ネタバレを含みますので注意。

 

 
――というのも、最近ゼミでとあるテキストを読んだのですが、その中で非常に面白い概念があったのです。
傷と傷跡と記号 ポスト『エヴァ』作家としての冲方丁
という佐藤俊樹さんのテキスト。
その中で書かれている『融けると混ざる』の概念がとても興味深いのです。

融ける混ざるの違いを、このテキストでは

『一番大きなちがいは、混ざるの方では個体の境界線が残り続けるところにある』

として、また

『(個体の境界線が)残ることで、他の個との間に強い摩擦や軋轢が生じ続ける』

と分類しています。
そして、個を成立させているATフィールドを破壊して人類を単体の生命体に融合させるのが人類補完計画であり、エヴァはその融合を拒絶することで物語を終えているとも書いています。
当然、融合とは融けることです。

エヴァを知っている方には、融けると混ざるの違いがイメージできたでしょうか?
できない方にはちょっと申し訳ないんですが、まあそんな感じだと空想してください。
要するに『一』とカウントされるものの中に『個』があるか否かだということなのですが……(例:学校の『一』クラスには『30』人程度の生徒がいて、それぞれの思考が理由で喧嘩が起きたりする)。



前置きが長くなりました。
以上のことを踏まえてアイドルマスターXENOGLOSSIAを観た場合、この作品が神作品だと呼ぶに値する作品だということに我々は気づくのです。

「うふ……熱いわ……インベル……うふふ……とけちゃいそう……」

これはインベルのコックピット内で如月千早が口にした言葉です(※第何話だったかは忘れちゃいました+正確な文章ではないです)。この時点で既に如月千早インベルと融けることを望んでいることに気づきます。

また
インベルとわたしは、ひとつになるの。真っ白に……トロけるの……とおっても甘くて……気持ちがいいの……
とも口にしており(※同上)、如月千早は自身の身体を粒子化させ、インベルへと打ち込ませます。
身体の粒子化とは、肉体という境界線を消滅させることであり、その粒子をインベルに打ち込むことは、インベル融けることを意味します。

つまり、如月千早融けることを意識したキャラクターでした。


対して、天海春香混ざることを意識したキャラクターです。

天海春香はコックピット内で操縦することでインベルと一つになっています。
(※もちろん如月千早も操縦はしていましたが、彼女はそれでは満足出来ませんでした)
また、インベルと喧嘩もしています。
さすがにこれだけでは説得力に欠けてしまうのですが、後述する台詞によって天海春香混ざることを意識したキャラクターだということが分かります。

その台詞とは、

「きっと、インベルは……ううん、iDOLでも人でも、好きな人と一緒になるって、そういうことじゃないよ。好きな人と一緒になるって、その人と同じになるんじゃない。きっと、違うところをお互いに見つけていくことなんだよ。だから、わかんないことも、キライって思うこともいっぱいあるかも知れないけど、でも、きっとそれでいい。それでよかったのに。インベルは千早さんを見てたのに。千早さんは、インベルに見てもらおうとするだけで、インベルを見なかった。それはきっと……愛じゃないもの!」

の、アイドルマスターXENOGLOSSIAを代表する名言です。

『同じになる』=融けることを否定し、『違うところを見つける』=『個(の境界線)』を肯定する天海春香は、間違いなく混ざることを意識したキャラクターなのです。

そしてさらに、この台詞からは『融けることは愛ではなく、混ざることが愛』なのだと読み取ることができ、インベル如月千早ではなく天海春香を選んだ以上、この作品は『融けることを否定した上で、混ざることを肯定した』ことになるのです。

融けることの否定、これはエヴァと同じテーマなのです。
そしてその上で、混ざることを肯定し、愛だと唱えたのがアイドルマスターXENOGLOSSIAなのです。
あのエヴァと同じテーマを扱い、かつ混ざるという概念に一歩を進め、その概念を愛だと定義したアイドルマスターXENOGLOSSIAが、果たして神作品でないと言えるのでしょうか? 駄作だといえるのでしょうか?



――なんてことを、ゼミが終わった後に友だちと話していました。
真面目な話、この概念の影響でアイドルマスターXENOGLOSSIAに限らす、作品を消化する際の印象も変わりました。
なので、一度書き散らしてみたいなーとは考えていたのです。
ブロマガ第一回記念ということで、良い機会だったとは思いますが、いかがだったでしょうか?



アイドルマスターXENOGLOSSIAのラストは、インベル天海春香が離れることで決着します。その決着を『一』の肯定と見るか否定と見るか。最近はそのことを考えています。

 

 

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